ペナンとKL 行ったり来たり

マレーシアのKLとペナンの2つの拠点で生活中。異なる場所の視点で見たマレーシアの色々を書いています。日本語で書いていますが、一般的な日本人の方にはあまり役立つ情報はないような気がします。

東日本大震災後に一番怖かった事

「マレーシアに移住しようと思ったのは東日本大震災が発生したから」と以前書きました。これを書くと「あー、放射脳の人なのね」って思われます。もちろんそれも日本から出ようと思った原因の一つではありますけど、もっと大きな危険を感じていました。

それは「これから起きる地震です。

ご存知のように、東日本大震災以降、世界的に大きな地震が頻発しています。日本においても熊本の地震などで多くの被害が出ていますね。

素晴らしい事に日本の建築基準は世界でも類を見ないほど厳格ですね。厳しい建築基準がなければ東日本大震災の犠牲者はおそらく何倍にもなったことでしょう。東京の高層ビル群が倒壊しなかったことに多くの国の人達が驚愕したはずです。

さて、そんな日本において「これから起きる地震がどうして危険だと思ったか?」って所が今回のお話のポイントになるのですが、これは日本経済の動きと結びついた話になります。

「失われた20年」とか30年とか、もう年数はどうでもいい訳ですけど、長らく日本経済は停滞を続けてきました。そのしわ寄せが工業地帯に及んでいると感じていました。

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たまたま、東京、千葉、横浜などの工場群(京葉、京浜工業地帯なんて言いますね)にあるプラント工場に部品を販売している会社数社とおつきあいをさせていただいていたのですが、営業担当の方々が口をそろえて「ちょっと前まではメンテ部品のオーダーは100個単位、1,000個単位で注文されて来たのに、今は1個単位で注文が来る。やはりどこでも厳しい経費節減が必要になってきてますね」と言うわけです。

「ん?それってまずいんじゃね?」っていうのが最初の感想でした。各プラントにおいては法定、法定外ともにメンテナンスの基準ってしっかり決まっているわけですよ。でも、そのための部品の予備を購入出来る会社が減ってきているって事は。。。

あとは想像するしかないわけですけど、多分、一度大きなダメージを受けたプラントは再度ダメージを受ければ確実に崩壊するでしょう。京葉工業地帯にあるプラント郡は放射性物質なんかよりも、より人体に直接的なダメージを受ける薬品などを大量に製造、保管しています。(ちょっとググったら分かると思いますよ)

東日本大震災の時の関東地方の震度は5強でした。おそらく近い将来、同クラスの地震が起きるのは間違いないでしょう。その時に家族を連れて逃げられるか?

東日本大震災が発生した時に東京に住んでいた方はよく分かると思いますが、全く移動出来なくなりましたよね?徒歩で帰宅された方も多かったと思います。

東京都の避難計画を見ると主要幹線道路は基本的に封鎖されるようです。実際、封鎖なんかされなかったけど道路なんて通行不能状態でしたよね?

「そんなの無理ゲーじゃね?逃げられないじゃん!」って思いました。しかも子供連れてなんて尚更無理でしょう。それでも独自の避難(一般的な人は想定していないような)ルートは考えていましたけど、それも割りと無理ゲーだわって思っていました。

なので、僕ら家族の答えは「可及的速やかに関東圏から出る事」でした。

だから福島原発事故は避難要因のプライオリティとしてはだいぶ低かったです。それでも相当気にしてましたけどね。

個人的には東日本大震災はまだ終わっていない」と今でも思っています。

 

で、マレーシアに引っ越しました。

本日はこのへんで。

最後までお付き合い頂きましてありがとうございます。