日本の将来について考えたこと
マレーシアに移住しようと思って日本から出てきて5年目になる訳ですが、移住のトリガーは東日本大震災だったのかもしれませんけど、もっと大きな問題が日本には沢山あるなと思っています。
本日は、まず子供の教育について。
我が家は3人の子供がいますけど、正直言って日本で3人をしっかり教育していくのは難しいと思っていました。(今でも思ってるけど)単純に学費の問題もありますが、それ以上に「日本で教育を受けさせて将来が描けるか?」っていう所が大きかった気がします。
まず、単純に日本は学費が高いですよね。親が学費を払えない場合の奨学金制度自体はありますけど、ほとんどの場合、これは有利子負債になりますよね。
日本の大学を出て日本企業に就職して生活が成り立つのか?って考えたら、それは彼らが大人になったときには本当に狭い門になっちゃうんじゃないかと思ったんですよ。
そんなの学費を支払う立場から見たら意味がわからんと思ったんですよ。
当たり前の話ですけど、日本にいたら日本の会社に就職するのが一般的ですよね?日本語を使って空気読みながら働く選択肢しかないわけですよね?
それ「自分がそうだったら絶対無理だわ」って思ったんですよ。いや、無理だからこそ僕はマレーシアに住んでるわけなので。
おそらく10年20年後の日本企業は今持っている力を失っているでしょう。身の回りの物を見たら分かると思うんですけど、リアルなメイド・イン・ジャパンの物って既に少なくないですか?日本製の携帯電話とかIT機器とかマレーシアではほとんど見かけませんよ。日本が円高になると困るのは製造業が多いからじゃなかったんでしたっけ?
終身雇用制度なんて既に崩壊してますよね?親として「子供達が日本でしか生きていけない大人になっちゃったら彼らの明るい未来がなくなっちゃうんじゃない?」って感じたわけです。
世界のどこでも生きていける日本人になって欲しい
これが僕が自分の子供達になって欲しい大人の姿です。
幸か不幸か、次女と長男はマレーシアの中華系ローカルスクールに通学しているので、英語、中国語(マンダリン)、マレー語は使えないと生活出来ません。ついでに日本人なので日本語も話せます。そんな次女と長男に触発されて、日本人学校に通学する長女もインターナショナルスクールに行きたいと言うようになりました。少なくとも英語は使いこなせるようになりたいみたいです。
それだけで彼らの将来の選択肢は物凄く広がると思うんです。
ヨーロッパの学費が安い大学を選んでもいいし、中国の大学に行ってもいいでしょう。行きたけりゃアメリカに行ってもいいわけですしね。
選択肢の多い社会ほど良い社会だと思うと某有名な作家さんも言ってますが、僕も全くその通りだと思います。
何もみんなで同じ服来て就活とかしなくても好きな国の好きな企業で働けばいいし、好きな国で起業してもいいわけですから。
僕は、そういう日本人が増えるといいなと思っています。
今、僕が働いている会社はアメリカの某グローバルIT企業です。色んな国の人が一緒に働いています。飛び交っている言語は10以上あるんじゃないかと思います。日本人はほとんどいないですけどマジ快適です。誰も空気なんか読まないし、全員が目指す方向はガッチリわかってるし、根性とかやる気とか誰も言わないしね。ついでに言うとプロジェクトの最高責任者はゲイなんだぜ!でも誰も彼がゲイだからって気にもしません。むしろゲイにしかない気の細やかさが今のプロジェクトに最適だと感じます。
おそらくこれから伸びていく会社って業種を問わずそういう会社です。
そういう新しい世界で幸せになって欲しいなと心からお父さんは願っているのですよ。
長くなりましたけど今日はこのへんで。ペナンの教育環境については、また改めて詳しく書きたいと思っています。
お付き合い頂きましてありがとうございました。
どうしてマレーシアに移住したのか?
っていうお題で今回は書きたいと思います。
海外移住
なんて言うと物凄くハードルが高い気がしますが、そのハードル自体は個人個人で違うでしょう。もしかしたら言語かもしれないし、費用なのかもしれません。仕事が見つかるか?っていう心配もあるでしょう。
そんな色々なハードルを乗り越えて、どうして家族でマレーシアに移住したのか?僕の場合は。。。
ペナンが好きだから
これに尽きます。
好きな場所になっちゃったのでどうしても住んでみたくなったのです。好きになったポイントは沢山あるので以下にまとめます。
- 英語が通じる
これが一番大きいと思います。とりあえず新しい言語を一から覚える必要がなかったのは大きいです。ほとんどの場所で英語が使われていますので中学校レベルの英語力があれば生きていけます。
- 中華系のビジネスをしている人が多い
僕はマレーシアに来る前はシステム開発とITコンサルの会社を経営していました。以前、香港で仕事を少ししていた時にも感じたのですが、中華系の人達のビジネスのやり方は独特なものがあります。経営者として勉強になることが多かったので、もっと突っ込んで彼らと関わることで勉強になることが多いのではないかと思ったのです。これについてのエピソードは沢山あるので、おいおい書いていこうと思います。
- 気候が一年中ほぼ同じで過ごしやすい
季節がハッキリしている日本から来ると変な感じですが、一年中とにかく身体が楽です。いつでも海で泳げますし、好きなバイクにも沢山乗れます。
- そして世界遺産である
「だから何?」って言われそうですけど、世界遺産なので世界中から観光客がやってきます。街のカフェとかに行けば色んな国の人と話が出来て大変刺激的です。世界中の人と気軽に話が出来るのは大変いい環境です。もちろん子供達にとってもいい環境ですね。東京だってそうですけど、実際はあまり話をする機会ってないでしょ?気軽に話が出来るのも世界遺産という環境だからだと思っています。
というわけで、僕の場合は「ペナンが好きになったから」が一番の動機です。
人間、好きになるとどんどん積極的に動くようになると思いませんか?恋愛にしても趣味にしても。初めてペナンに来た時から住んでみたいと思える土地だったので自然に自分が住むことを想定してペナンを見ていた気がします。
元々「海外に住むのも良いかもね」くらいに考えていた自分にとっては良い候補地が出来たので実現させたくなったというのが一番のポイントだと思います。
で、もちろん移住のトリガーになったのは「3.11 東日本大震災」です。
こういう書き方すると「あー、放射脳の人なんだー」とか思われがちですけど、ちょっと違います。放射性物質の汚染については当然考えます(僕は福島出身です)が、危険度のプライオリティとしてはだいぶ下の方になります。「もっと違う危険が日本には溢れているな」というのが正直な所です。
この辺についてはまた詳しく書かせていただこうかと思っています。
自分が好きだと思った場所に住むのは楽しいですよ。
今日はこの辺にしておきます。最後までお付き合いいただいてありがとうございます。
ブログのタイトルについて
このブログは「ペナンとKL 行ったり来たり」っていうタイトルをつけている訳なんですが、どうしてこういうタイトルにしたか?
それは
「そんな事してる日本人はあまりいないからw」って事につきます。
日本風に言うと「単身赴任」と言う事になるのかとは思いますが、平日はKLで仕事をして週末は家族の住むペナンに帰るという生活なだけです。
基本的には仕事が終わったら金曜日の夜にペナンに帰って、月曜日の朝に飛行機でKLの仕事先に行くっていう生活です。これだと一週間のうち、3日はペナンの自宅で寝る事になる訳なので、KLとペナンの半分ずつの生活をしているって事になる訳ですね。まあ、こんな生活してる日本人は見たことないです。でも、ペナン在住のローカルお父さん達の中には同じ事をしている人が割りといます。その方が儲かりますからねw(ボクもそうだけど。。。)
で、飛行機だけだと移動コストが高いので、節約したい時はバイクでKL~ペナンを移動します。
これを話すと何人(国籍)とか関係なく「は?バイクとか意味分かんねーし。大体危ないでしょう!」って言われるのですが、僕的にはバイクで移動(350kmくらい)するのは物凄く楽しくて「月に2回も長距離ツーリング出来て幸せーっ!」って感じになります。ちなみにマレーシアはバイクの高速料金は無料です。(ペナンブリッジだけはペナンに入る時だけ有料です)だから移動コストは片道30リンギくらいかな?
何が幸せなのかは、その人自身にしか分からないです。
僕がマレーシアに住みたいと思った事のひとつに「バイクに乗ってて気持ちいい」っていうのがあります。日本だとバイクに乗ってて気持ちいい期間って年間2週間もない気がします。マレーシアなら日中の暑い時間帯を避ければ一年中、物凄く快適に走れます。夜も寒くなくて適度に快適です。
「雨降ったらスゴいだろ!」ってツッコミをよくされますけど、日本と違って30分もすれば大抵雨は止むので、雨が降ったら雨をしのげる場所にバイクを停めて待っていればいいだけです。
もちろん同じ境遇のバイク乗りが同じ場所で雨宿りする事になるので、そこでバイクの色んな話が出来たりして、それはそれで楽しいのです。バイク乗りに国境はないですからw
という訳で「そんな変な事してる日本人もいるのね」ぐらいのスタンスで見ておいていただければいいなと思います。
最後までお付き合い頂きましてありがとうございます。
ブログ開設のご挨拶
マレーシア生活も5年目を迎えて、すっかり日本人離れしてきましたが(元々だろというツッコミは置いておいてね)発展途上国と言われるマレーシアは様々な物事がどんどん様変わりしていきます。
そんな「マレーシアの移り変わりをブログに書いておきたい」という思いと、仕事がら「WEB上に成果物を何か残しておいた方がいいんじゃね?」なんていう思いが交錯して何年かぶりにブログを書くことにしました。
僕は長年IT畑で仕事をしてきたのですが、今やっている仕事が大きくWEB系の仕事にシフトしたからというのも大きなポイントではあります。(まあ、つまり今のトレンドとか分かんないと仕事にならないからさ ゴニョニョ。。。。)
という訳で、リアルに僕の事をご存知な方も、WEB上でしか知らねーよって方も「まーたコイツはアホな事書いてるな、オイ!」ぐらいのスタンスで見ていただければ幸甚の次第でございます。
手短かではございますが、以上、よろしくお願いします。